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ブランスリー電脳ちょっとだけ版
職人家業を守りながら、企業として成り立たせる - プロローグの山本敬三社長に聞く [2012年10月号 インタビュー]

 1999年に畑に囲まれた小さな道沿いに静かにオープンした「パンステージ プロローグ」は、オープン当初の日商7万円から、日商80万円を売り上げる有名ベーカリーに成長した。オーナーの山本敬三社長は、現在では、東京・町田市や神奈川県横浜市などに、「パンステージ プロローグ」を含めて、ベーカリーなど4店舗を展開する。人が育てば、楽しい店になって、楽しい店になれば、客がたくさん来て、客がたくさん来れば、店が繁盛して、店が繁盛すれば、人がまた育つ ―― こうした理想的な好循環が、同ベーカリーでは実際に起こっている。(掲載写真はすべて今年4月にオープンした4号店の「プロローグ プレジール」で撮影)

―――山本さんがこの世界に入ったのはいつですか。
山本 1986年に18歳で新宿の中村屋に入社しました。入社した当初は無我夢中というか、将来何をやっていくかとか、何で生計をたてていくかとか、そういうことはわからないまま、与えられた仕事をがむしゃらにこなすだけでした。でも、とりあえず食べ物を作る仕事をしたいという思いは漠然とあったような気がします。最初は、パン、洋菓子、和菓子と一通りやらされて、最終的にパン部門に配属されました。一緒に130人ぐらい入社しましたが、パン部門に配属されたのはみんな体が大きくて、体育会系の人が多かったですね。
―――自分の店を持ったのはいつですか。
山本 1999年に、神奈川県横浜市青葉区に「パンステージ プロローグ」という名前でベーカリーをオープンしました。最初は日商7万円でした。周りは畑ばかりという立地で、13年前にあの場所に店を出すというのは相当勇気が要りましたね。駅から歩いたら30分以上かかる場所でした。
 しかし、修行時代の中村屋では、店の立地は、駅ビルの中とか、デパートの中とか、そういう場所ばっかりだったので、実は自分で店を出すときは、そういう好立地ではない場所に出したいと思っていたんです。好立地だと、僕がやらなくてもお客さんは来ると思ったし、どうせやるなら「わざわざ買いに来てくれる店」をやりたかったんです。
 初めての自分の店だったので、もうがむしゃらにやるしかありませんでした。最初は、スタッフも製造は僕を含めて2人でスタートしました。あとはすべてアルバイトとパートさんでした。
 全員がほぼ素人の状態だったので、宣伝しても絶対に商品を作り切れないと考え、できる範囲でやるしかないということでスタートしました。
―――「ひょっとしたらずっと7万円のままかもしれない」と思ったことはありますか?
山本 それはなかったです。やはり、中村屋での経験は大きかったと思います。特に最後に5年間店長をやらせてもらった経験は大きかったと思います。当たり前のことをきちっとやっていればお客さんは必ず増えていくという確信はありました。おいしいものを作って、いい接客サービスと共に提供し続けていれば、絶対に売上げは伸びると確信していました。
―――いい接客サービスとは具体的にはどんなことですか?
山本 お客さんが求めてきたものについては、絶対に断らなかったで...(月刊ブランスリー2012年10月号へ続く)

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