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ブランスリー電脳ちょっとだけ版
これからのパン職人は、グローバルな視点を持て - デイジイ倉田博和社長に聞く  [2011年8月号 インタビュー]

 埼玉県川口市に本店があるデイジイは、埼玉県内に7店舗を展開する年商12億円のリテールベーカリーだ。倉田博和社長は、技術力も販売力も持ち合わせた優れたパン職人だが、会社の規模が大きくなった今、会社を組織としてどうやって運営していくかに心を砕いている。また、ドイツ・パン菓子勉強会の会長を務め、後進の指導に当たるなど、業界発展のための活動にも多くの時間を割いている。今回の取材の中で、「カリスマパン職人」として繁盛店を作り上げ、それを企業として組織化し、さらには、今後のパン業界が進むべき道を真剣に考える倉田氏の姿が浮かび上がった。

莫大な借金を抱えて心が歪んでしまった
―――倉田さんは、最初はどこで修業されたんですか?
倉田 日本菓子専門学校を卒業し、京都の「ローヌ」というパンと洋菓子の両方を製造販売する店で5年間修業しました。そして昭和63年に埼玉県の西川口に自分の店を持ちました。それからもう23年です。現在は、ベーカリー6店舗とレストラン1店舗を展開していて、年商は12億ぐらいですね。
―――最初に店を持ったときはまだ20代だったのですね。
倉田 26歳のときでした。自信満々で独立したのですが、いざオープンしてみるとぜんぜん売れませんでした。損益分岐点が日商30万円のところを、日商6万円でしたからもう真っ青でしたよ。
 当時はバブル絶頂期で、45坪ぐらいの店だったんですが、投資額はかなり高額で、月々の返済が300万円以上と、かなりきつかったんです。
 お金を返さなければいけないという思いが先にたって、銀行の方を向いて仕事をしてしまうんですね。多少焦げたパンでも店に出してしまったり、納得しない商品でも、ロスを出すのが嫌で店に並べてしまったりということが続きました。
―――当時の品揃えはどんな感じだったのですか?
倉田 私は技術者なので、今考えるとがちがちの品揃えだったと思います。フランスパンなど自分の理想の商品ばかり並べていました。スイス菓子やドイツ菓子に凝ったりと、職人としての格好よさを追求していたのかも知れません。売れなくて改めて気づいたのは、私たちの商売は、お客さんに喜んでもらって、お金を出して買ってもらって初めて成り立つ商売なんだということでした。銀行はお金を貸してくれたけれど、お金を出すのはお客さんなんだから、お客さんのために何ができるのかを考えなくてはだめなんだと改めて気づかされました。結局日商30万までもっていくのに2年半かかりまし...(月刊ブランスリー2011年8月号へ続く)

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